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横浜家庭裁判所 昭和32年(家ロ)122号 判決 1960年2月29日

原告 川俣三四郎(仮名)

被告 川俣フミ(仮名)

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は、「被告の原告に対する横浜家庭裁判所昭和三一年(家イ)第七四二号離婚調停事件の調停調書にもとずく強制執行はこれを許さない。訴訟費用は被告の負担とする」との旨の判決を求め、その主張の請求原因の要旨は、

(一)  原告は、昭和一八年一二月一五日被告と婚姻した。

(二)  原告は、被告と婚姻後、新潟県の被告の実家で同棲し、大工として土建業に従事していたが、昭和二四年頃失職したので、実妹の夫山口正一を頼つて川崎市内に職を求め、その頃同市水道部に勤務することになつた。当初単身で生活をしていたが、その後妻も国元から来たので同市で再び同棲することになつた。

(三)  原告は、酒を好み、酒場に出入した。被告はこのことから原告が他の女性と交際しているといい始めるに至り、このことに端を発し、原被告間に不和をかもし出した。

(四)  そこで原告は、昭和三一年八月横浜家庭裁判所に被告を相手方として離婚の調停を申し立てた。その後、同裁判所昭和三一年家(イ)第七四二号離婚調停事件として、同裁判所の調停委員会において、調停が試みられた結果、同年一一月一九日調停委員会の調停で、原被告間に、次の条項につき合意が成立し、その旨調書に記載されここに調停の成立を見るに至つた。

第一項、原被告は当分の間別居する。

第二項、原告は被告に対し、右別居期間中昭和三一年一二月から毎月一六日限り九、〇〇〇円ずつを生活費として支払うこと。

第三項、本件調停費用は各自弁とする。

(五)  右調停成立後、原告は肩書住所に移り被告と別居し毎月九、〇〇〇円ずつ送金していたが、安月給取りのため送金ができなくなり、他面婚姻を継続する意思がなくなつたのでその支払を中止したところ、被告は、前記調停調書の執行力ある正本にもとずき、昭和三二年三月一二日、同年六月一一日、同年八月八日と次々に原告の川崎市から受ける月給を差押えた。

(六)  原告は、昭和三二年三月被告を相手方として横浜地方裁判所に離婚の訴を提起したが、敗訴したので東京高等裁判所に控訴した。その事件は目下同裁判所において審理中である。

(七)  前記調停条項第一項中の「当分の間」は、永遠を意味するものでなく、自から時間的限界があり、その限界は、一箇年程度と解するのが相当である。だとすると、右調停の成立した昭和三一年一一月一九日から一箇年の経過により、同条項は当然失効したものというべく、したがつて、同条項の存続を前提とする右調停条項第二項の原告の生活費支払義務もまた消滅したものというべきである。

(八)  仮りに然らずとするも、前記調停条項第一項にいわゆる別居は、原被告が婚姻を継続するか離婚するかを考慮する期間をおく意味である。ところで、原告は考慮の末離婚することに意を決し、前記の如く被告を相手方として離婚の訴を提起したのであるから、右条項の別居はその意義を喪失し、同条項は当然失効したものといわなくてはならず、したがつて、同条項の有効を前提とする第二項の原告の生活費支払義務もまた消滅に帰したものである。

(九)  前記(七)、(八)がいずれも理由がないとするも、原告は、前記調停条項第二項につき、その合意をするに当り、同条項の生活費の支払は全く徳義上の義務と信じ、これが不払の場合においても、本件調停に強制執行力を生ずるものとは全然認識しなかつた。もしこれを認識していたなら、前記調停の各条項につき合意しなかつた。されば、原告は、民法第九五条にいわゆる法律行為の要素に錯誤があつたもので、前記調停は無効である。

(一〇)  以上の事由により、前記調停調書の執行力の排除を求めるため本訴におよんだというにあつて、

立証として、甲第一号証、甲第二号証の一、二、三を提出し、証人山口正一の証言、原告本人尋問の結果を援用し、乙号各証の成立を認めた。

被告訴訟代理人は、主文同旨の判決を求め、その答弁として、原告主張の前記(一)、(二)、(三)、(四)、(六)の各事実および(五)の事実中原被告が別居したこと、原告において約定の生活費を一回送金したこと、被告が原告主張の年月日に、その主張の債務名義にもとずいて、その主張の債権を差押えたことはいずれもこれを認めるが、その余の主張事実は否認する。

婚姻以来被告が昭和二九年二月肺病で入院するまでは、原被告間は至極円満であつたが、その入院中原告は、訴外河村サヨと同棲し、被告が通院するや被告に離婚を迫り、遂に横浜家庭裁判所に離婚の調停を申し立てたものである。本件調停条項第一項にいわゆる別居は、原告の気持の静まるのを待つためのもので、換言すると冷却期間をおく意味であるとのべ、立証として、乙第一、二号証を提出し、被告本人尋問の結果を援用し、甲号各証の成立を認めた。

理由

原告主張の前記(一)、(二)、(三)、(四)の各事実は、いずれも当事者間に争がない。そこで前記(七)、(八)、(九)の各主張について順次判断する。

(七)の主張について。

本件調停条項第一項中の「当分の間」は、不確定の期限を定めたものであつて、原告の主張のような性格のものでないことは、その文言自体に徴し明白であるから、原告のこの点の主張は、その余の点を判断するまでもなく失当で採用することができない。

(八)の主張について。

本件調停条項第一項中の「原被告は当分の間別居する」との文意からして、別居はあくまでも臨時的措置であつて、将来においてその合意が効力を失うに至ることが予想されていたものというべきである。そこでその失効の有無について考えてみる。原告は右条項の別居は、原被告が婚姻を継続するか、離婚するかを考慮する期間をおく意味である旨主張するけれども、原告提出援用の証拠によるも、右別居が専ら原告主張のような意味のものであることを肯定することができないから、これを前提とする右条項失効の主張は理由がない。かえつて成立に争のない甲第一号証、原被告本人の各供述弁論の全趣旨を綜合して考察すると、本件調停が成立した昭和三一年一一月一九日当時の原被告の不和は、必ずしも離婚しなければならないほどのものでなく、互に反省することにより不和を克服し、再び円満な夫婦生活に復帰しうる可能性が絶無とはいえない状態にあつたところから、原被告は、さらになお互に反省熟慮のうえ、和合か離婚かを協議決定すべく、もし不幸にして協議調わない場合は、調停または裁判によりそのいずれかに確定するまで別居することとし、本件調停条項第一項のような合意が成立したことが推認できるから、同条項の別居の合意は、右認定のいずれかの事由の発生により失効し、然らざる限りその努力を保有するものと解するのが相当である。ところが、右事由の発生を認めることのできない本件においては、右別居の合意は、今なお有効に存続するものというべきである。されば、原告のこの点の主張は、爾余の点を判断するまでもなく失当で採用することができない。

(九)の主張について。

仮りに、原告主張のような事実があつたとするも、これを目して、法律行為の要素の錯誤ということは困難であるから、この点の主張もまた採用に値しない。

他に、本件調停条項第二項の原告の生活費支払義務がないことの主張立証のない本件においては、本訴請求は失当で棄却を免れない。

よつて、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法第八九条を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判官 猪股薫)

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